信州 善光寺 淵之坊

善光寺縁起について

善光寺の御本尊 一光三尊阿弥陀如来さまがインドでお生まれになり、百済国(くだらのくに)を経て日本へ伝わり、善光寺が建立されるまでの歴史をあらわした物語を「善光寺縁起」と申します。
淵之坊では歴代住職が絵伝を用いて絵解きをしながら、善光寺の歴史を説明する役にあたってきました。そのため淵之坊は「縁起堂」の別名を頂いております。「善光寺縁起絵伝」には数多くの種類がありますが、今回公開いたしますのは、淵之坊が所蔵する内の一幅で江戸時代に作られた絵伝です。

1. 今から2500年の昔、お釈迦さまはインドのビシャリ国におられました。その国の長者月蓋(がっかい)は大富豪でしたが心の貧しい人でした。51歳の時初めて「如是姫(にょぜひめ)」が生まれてからは姫を溺愛し、国が乱れてきましたので、お釈迦さまはなんとか月蓋長者の心が正しくなるようにしてきましたが、一向に聞く耳を持ちませんでした。

善光寺縁起絵伝01

2. ビシャリ国には鬼たちが恐ろしい熱病を流行らせ、人々は亡くなっていきます。月蓋は金にまかせ屋敷を兵隊に護らせましたが、ついに最愛の如是姫もこの熱病に罹ってしまいます。月蓋はインド第一の医師ギーバを招きますが「この病は薬ではなおりません、お釈迦さまだけがなおしてくれるでしょう」と帰ってしまいました。

善光寺縁起絵伝02

3. 月蓋長者は、いままでの心の貧しさを深く反省し、お釈迦さまの前に懺悔し国中の人々の病気を救って下さいとお願いしました。お釈迦さまは月蓋の心を知り、「西方極楽の阿弥陀如来さまに向かってお念仏しなさい」と教えます。月蓋長者が屋敷に帰って一心に祈りますと、極楽から一光三尊阿弥陀如来が来臨し、眉間の白毫(びゃくごう)から放たれた光によって如是姫はじめ全ての人の病気が治りました。

善光寺縁起絵伝03

4. 月蓋の喜びは限り無く、お釈迦さまにあの極楽から来臨された一光三尊阿弥陀如来さまのお姿をこの世に残して頂きたいと願います。お釈迦さまは弟子目連(もくれん)を竜宮城に遣わし第一の宝である閻浮檀金(えんぶだごん)を分けてもらいました。閻浮檀金に阿弥陀・釈迦二尊の白毫の光が当たり自然に新仏が生まれ、月蓋は七代五百年にわたって供養しました。

善光寺縁起絵伝04

5. 月蓋が百済国聖明王(せいめいおう)に生まれ代わったことから、如来は自ら空を飛行して百済国に到り、この国を救うこと約千年を過ぎた時、如来は時の推明王に「我はこれから日本の国を救わねばならないので船を用意しなさい」とおっしゃいました。欽明天皇十三年十月、日本に初めて仏像が伝えられました。これが我が国の仏教伝来です。

善光寺縁起絵伝05

6. 天皇から如来を託された蘇我氏(そがし)は寺を造りこれをまつりました。ところが悪い病気が流行すると排仏派の物部氏(もののべし)は、仏が災いを招いたとして寺に火をつけ、み仏を焼き、叩いて壊そうとしましたが傷一つつけることも出来なかったので、遂に難波の堀江に投げ捨ててしまいました。

善光寺縁起絵伝06

7. 聖徳太子十六歳の時、あまりに横暴な物部氏の振る舞いに対し、蘇我氏と力を合わせて戦うことになりました。多勢に無勢の太子は退却の途中、椋木(むくのき)のうろに逃れて救われます。この中で太子は、次の戦に勝てるように四天王を彫って祈り、二度目の戦いでは物部守屋を打ち取り、そのお礼に四天王寺を造られました。

善光寺縁起絵伝07

8. 信濃国伊那郡麻績の郷に本田善光(よしみつ)という人がおりました。貧しい家であったので国司のお供をして都にのぼり、ある日 都見物をしようと難波の堀江にさしかかると水底に光り輝くものがあり「これは一体?」と思ううちに、池の中よりみ仏が飛び出て善光の背中に移られました。驚く善光に「なんじはインドの月蓋長者、百済国聖明王の生まれ代わり、私の一番縁の深い者であるから、おまえとともに東国に行き多くの人々を救いたい」と言われ信濃国にくだりました。

善光寺縁起絵伝08

9. 善光と妻弥生(やよい)の家は貧しいお宅でしたが、臼の上にみ仏を安置し大切に心からご供養しました。ある日「我を信濃国水内郡芋井の郷に移すべし」とのみ仏のお告げにより、皇極天皇元年 現在の長野市に移られました。皇極天皇二年善光の嫡子善佐(よしすけ)は突然息たえてしまいました。悲しみに暮れた夫婦は「私達の後、み仏のご供養をするべきだった一人の子、善佐の命を救って下さい」とみ仏に訴えます。

善光寺縁起絵伝09

10. 如来は善光夫婦の願いもっともなりと閻魔宮(えんまきゅう)に入って善佐の罪を救って下さいました。この世に帰る途中善佐は地獄に堕ちてこられた皇極女帝とすれ違い、このいとやんごとなきご婦人を是非お救い下さいと如来さまにお願いし、二人とも生きかえることが出来ました。

善光寺縁起絵伝10

11. 生きかえった皇極天皇は大変感謝し、善光を甲斐の国司に、善佐を信濃国の国司に任じ、勅願によって如来さまのお堂を創建しました。善光のお宅がお寺になったことから善光寺と呼び、現在の本堂は十二回目の建築といわれています。

善光寺縁起絵伝11